エトピリカの blog

日々のつれづれや、実験してみたことについて書いています。

がんばれなくてもいていいよ(重い話)

こんにちは。

今日は、私がどうして頑張らなくちゃ存在してちゃいけないと思っていたかについて書こうと思う。

 

私が大学受験の頃、親が会社をリストラされた。収入がなくなり、両親がどれくらい悩んでいたのかは分からなかった。後で聞くと、1000万あった収入が300万以下になったそうだ。そののち貧乏OLになった私には、どう頑張っても300万も稼げなかったので、どう大変だったのかはピンとこない。私は誰も養ってないし。

経済状況が悪化し、両親の仲も冷戦状態になり、妹の体調も悪化して入院したりして、みんな言葉に出さない悩みがあったのだと思う。

みんながとても苦しんでいたので、私は知らないうちに「家族みんなの苦しみや悲しみを吸い取りたい。私が全部引き受けて、みんなが楽になるなら、私はどうなってもいい」と思うようになった。みんなの苦しみを吸い取りたいから、謎の罪悪感「私がいてごめんなさい。私がいなけりゃよかったのに。」を発動した。

罪悪感が根底にあるから、ことあるごとに自分を責め、「私は〇〇だからダメだ。ダメな奴は死ぬほど頑張ってやっと一人前。」と思っていた。今もそうこびりついている。

だれにもそういわれたことないのに。一人芝居を20年以上続けて、それが原因で心身を病み、怪我を繰り返していたんだと、最近気づいた。

責めたいがために責め、罪悪感を燃やし続けることこそが生きる目的だったのかもしれない。悲しみのごみ箱になるため、みんなの苦しみは自分のせいだと言い聞かせていた。(自覚はなかった)

動機はともあれ、手段は完全に間違っていた。誰の悲しみも吸い取れない。だって、悲しみも苦しみもその人だけのものだから。肩代わりなんてできなくて、無意味に自責を続けているだけだった。多分、自分が犠牲者になってでも家族に笑っていて欲しかったんだと思う。私の両親は、二人とも無理しすぎて病気になっている。二人とも死ぬまで治らないだろう。そういう気質が私に受け継がれたんだろう。

 

 

もう悲しみなんて吸い取りたくない。20年ほどごみ箱やってうんざりした。だれも幸せにできない。

だから、「わたしがここにいてごめんなさい」「わたしはダメだから壊れてでも頑張り続けろ」なんてお終いにしよう。

手放すのは大変そうだけど、やってみよう。

 

ここまで見てくださった方、どうもありがとうございます。